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ブログ 浜辺の事務所から

日々の出来事を徒然に綴っています。

ブログ 浜辺の事務所から 第215話

【書評】国家と教養

公開日
2019.02.10
投稿者
島田 直行( 所長弁護士)

このところ教養に関する本を目にすることが増えた。誰しも知らないことを知るというのはおもしろいものだ。とくに普段目にしているのに気がついていないことほど知的好奇心がそそられる。僕の周りにもNHKの「チコちゃんに叱られる」を熱心に語る人が多いのも日常のちょっとしたことに「はっ」とするからだろう。大きすぎず小さすぎず。こういった部分をチクリとするから「なるほど」と感じて見入ってしまう。

教養という言葉が見直されているのは,一時的に教養の価値が失われつつあったことの反動であろう。僕らは,いつのまにか短期的な経済的な成功にばかり意識を向けるようになってしまっている。いかに効率的に利益をあげていくかが生活の中心になっている。生産性という言葉にしても簡単に言えば短時間で収益を上げていきましょうということだろう。だからこそ利益に直結しない教養はとりあえず側に置かれてしまったのかもしれない。たんなる知識であればネットで検索すればわかるのであってあえて教養を高めることを目的として時間を確保する必要はなくなっている。

個人的に興味深いのは,「ではなぜ教養が見直されているのか」ということだ。効率性を高めるのならもっと自分の専門性を高めればすむはずだ。それをあえて時間をとって自分の領域外のところを学ぼうとするのだろう。

僕としては,逆説的だけど専門性を更に深めるために専門外の領域のことが必要になっていると考えている。うまく説明できないけど例えば弁護士としてたんに法律としての知識を深めれば問題解決能力が高まるかと言えば否。法律の知識は必要だけどもそれだけで問題が解決できるほどに人間の心理は簡単ではない。やっぱり心理学や文学といった人間の心の機微に触れる部分を知らないとうまくいかない。ある程度専門性を高めたうえでさらに高い場所を目指すならどうしても広い視点としての教養が求められる。教養を学ぶことは自分の分野における質問のレベルをあげる。「あの分野ではこうなっているけど自分の分野ならどうなんだろう」というように。こういった洗練された質問こそレベルを上げていく要因になる。

この本は「なぜ教養が求めめられるのか」について整理されたものだ。読了後に「もっとも広い視点で読書しよう」という気持ちになれる。「なぜ本を読まないといけないのか」という質問にも答えることができるであろう。

教養というと肩に力が入るかもしれない。でも教養の本質は,いろんなことに興味を持つことだろう。それはかじる程度でもいいはずだ。かじれば甘いのか苦いのかくらいはわかる。そういった経験の集積こそ「教養がある」ということではないだろうか。