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ブログ 浜辺の事務所から

日々の出来事を徒然に綴っています。

ブログ 浜辺の事務所から 第196話

静寂と罵声の間にあるのがちゃんとした議論でしょう

公開日
2018.11.08
投稿者
島田 直行( 所長弁護士)

僕は,ほとんどテレビを見ない。たまにテレビの討論番組を見ていると「う~ん」と考えさせられるときがある。

いつから日本の議論は,他人の意見を否定して批判することが目的になったのだろう。テレビでは誰かの話をしているときに重ねるように発言をしてわりいってくる。そうやって一方的に相手の話をやめさせて自分の見解を朗々と述べることがまるで議論に勝ったような印象を与えている。はっきりいって議論の劣化が著しい。

これはテレビに限ったことではない。ちょっとした会議でも他人の意見を一方的に批判して自分の意見を押し通すことをよしとする人が増えたような気がする。そういう人が「やりて」と評価されているところもある。

はっきりいってこんなものは議論ではない。例えば訴訟における尋問では,ふたりの人が同時に発言することはできない。記録ができないからだ。ひとつの質問が終わってからはじめて回答することになる。

議論の目的は,相手に勝つことなんだろうか。みんなでいい考えを作りあげていくことが議論する目的ではないだろうか。そういう意味では議論とは静寂と罵声の間にあるものでしょう。イメージとしては,お茶を飲みながらまったり相手の意見を聞く。そして「そこは僕は違う意見ですね」ときりだして反論を述べていく。そういうのがあるべき議論ではないだろうか。

人の話を聞かない人は,まったく聞かない。そもそも自分が意見を聞いていないことの自覚がない。自分が中心だから他人の意見を聞くという必要性が共有できていないから。

自分の意見を押し通そうとする人は,相手を自分の敵か味方かで判断する。自分の賛同者を増やすためによりシンプルで過激な意見を提示するようになる。シンプルで過激な意見ほど他の人にとってわかりやすいから。しだいに極端な意見ばかりがでてくるようになり人間関係がギクシャクするようになる。

そういって壊れていったグループをいくつも目にしてきた。つまるところもう少しちゃんとした議論を見直すべきだ。別に難しい議論のノウハウを学びましょうという趣旨ではない。

まずは参加者で「なにを目的としてなにを決定するのか」を共有する。ここが曖昧だとたんなる意見表明で終わってしまう。そして相手の意見を遮らずとりあえず最後までじっくり聞いてみる。そして相手の意見を尊重しつつもどこが自分と違うのかを説明する。

あたりまえのことがあたりまえのようにできる。それが大人じゃないだろうか。