読書感想:教養としてのギリシャ・ローマ

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2021.08.22 (更新日:2021.08.27) 読書感想

このところいたるところで「リベラルアーツ」という言葉を目にするようになりました。いわゆる一般教養という部類のものですね。書店では「教養のための○○」という類いの本がいくつもあります。これまで一般教養といえば大学1年2年のカリキュラムという印象が強かったにもかかわらずなぜこれほどまでにリベラルアーツが求められるようになったのでしょう。ひとつには社会の専門化・細分化があまりにも進行してしまったことが指摘されるでしょう。ひとつの分野の専門性が高まりすぎてわずかにずれた分野についてもさっぱりわからないということです。ギリシャ時代においては,すべての事象が哲学というひとつの概念でとらえられていました。ひとつの概念でとらえているということは,ある意味ではひとつのことを多面的にとらえることができたでしょう。それが分野が区別され細分化されるとしだいに物事を多面的・横断的にとらえることが難しくなってきました。それが現在では加速しています。大半の人にとって人工知能のプログラムなんて魔法みたいなものでしょう。こういった専門化は,「ひとつの視点でしか物事を見ることができない」という弊害につながるリスクがあります。そこでより専門化が発達しすぎた反動としてより横断的にとらえるべく求められるのがリベラルアーツといえます。まさにリベラルアーツの復権ということでしょう。

ただしリベラルアーツといっても意味するところはあまりにも広い。ですから「よっしゃーリベラルアーツ鍛えるぜ」といってもなにから手をつければいいのかわからないものです。さまざまな分野があるのでしょうがコアとなるのはやはりギリシャ・ローマの古代哲学になります。いわば人類のすべての思索のはじまりになるからです。紹介する「教養としてのギリシャ・ローマ」は,まさにそういったリベラルアーツをコアのさらにエッセンスをコンパクトにまとめた一冊になります。本書の特徴のひとつは,「なぜ古代ギリシャ・ローマ時代の哲学が現在でも必要であるのか」という視点から執筆されていることです。歴史な事象を知り記憶することにはたいした意味はありません。ネットで検索すればたいていのことは誰でもわかるものです。必要なことは,時代背景のまったくことなる古代の智慧が現在も続いている理由を考えることです。そこには人間としての普遍的な考え方というものがあるのでしょう。

本書ではプラトンとアリストテレスの世界観を対比しながら現在に至る西洋の世界観を整理していきます。そこには理想と現実のいずれに軸足を置くかという大きな価値観の対立があります。人はまさに理想と現実のなかで揺れ動きながら今にいるというわけです。個人的に面白かったのがアダム・スミスの解釈。「神の見えざる手」という言葉は有名で市場万能主義のように解釈されていますが原点における意味は違って「仕事の分業」という意味だそうです。「仕事の分業」を効率的に実施するには自分の負担部分をいくら磨いても限界があります。他の分業とも調整をしていかないといけない。調整機能が働いて全体として効率化すれば,結果として市場としての機能を果たすことになると。原典に当たらなければなかなかわからないものですね。

本書の最後に触れているのが歴史の記憶に残っているのはごく一部で,背後には無数の名もなき思索や哲学がこれまであったということです。それらが進化論的に淘汰されつつ現在まで続いていることになります。私たちは,思想史にしても歴史にでてくる有名な思想しか把握することができません。そして把握できた範囲でひもづけて「ひとつの歴史」を物語るようになっています。そこには歴史とはひとつの糸のように続くものという考えがあります。ですが実際には名もなき無数の思想がこれまであります。それも含めて歴史です。その意味では歴史というのは数え切れない糸の集積のようなものかもしれません。