読書感想:良い戦略、悪い戦略

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2021.08.01 (更新日:2021.08.26) 読書感想

ビジネス界隈では,「よくわからないけど多用される言葉」というものがあります。その時代によって選択される言葉は異なるものの共通するのは利用することがビジネスをわかっているように感じさせることです。意味はわからずとも利用することで自分を脚色するようなものでしょう。そのさいたるものが「戦略」という言葉です。ほとんど毎日のように目にするような言葉です。「戦略を定める」「戦略を策定する」など力強い響きに引っ張られるところがあります。この戦略がうまれた概念が経営において重要なことはおそらく万人の共通認識でしょう。ですが「戦略とはなにか」「どうして戦略が必要なのか」と問われると即答できる人はあまりいません。こういった必要なことはわかるが内実はわからないというものは身の回りにあふれています。日々の業務に忙殺されて改めて考えることができないわけです。本日ご紹介するのは経営戦略論の名著と呼ばれる「良い戦略、悪い戦略」です。日本で出版されてかなり経過しますが内容の輝きはまったく変わりません。経営者であればぜひ一読していただきたい一冊です。僕も自分の経営で悩んだときには繰り返しひもといています。

つまるところ戦略とは何か

「御社の戦略はどこに設定されていますか」と再建の場合に尋ねることがあります。たいていは「売上○○を実現することです」といったような回答がなされるものです。ですがこれは典型的に戦略と目標を誤解しています。そんな理想論というか精神論を声高に語ってもまったく経営が改善することはないでしょう。そこでまず押さえるべきは,戦略とは何かということです。戦略とは,特定の野心あるいは願望を実現するためのリーダーシップの発揮の道筋を描くことになります。ここで大事なのはリソースの集約ということです。経営をしていれば同時に複数の課題があるのが通常です。すべての問題を同列に扱ってリソースを分散するのは,最悪の手段と言えるでしょう。言葉で説明を受けると「それはそうだ」とわかるのですが自分が当事者だと機会損失を回避するためにリソースの分散をしてしまいがちです。とくに後継者の場合には,「あれもしたい。これもしたい」ということでリソースを分散してしまい社員が疲弊するケースがあまりにも多いわけです。

戦略というのはひとつ。これが理想といえるでしょう。リーダーがよってたつべき概念は,「すべての問題を一気に解決することはできない」という事実です。すべてを解決しようとするほどに周囲の意見に流されて目新しい手法ばかりに目を奪われて足下すくわれます。問題を解決するには地道な作業が必要だということです。対象を絞り戦力を集中させる。これはいわゆるランチェスターの戦略においても同一の視座と言えます。

戦略の設定は科学的なものでなければならない

経営者は,たいてい自分の感覚が好きなものです。もちろん自分のセンスでこれまで事業を営んできたわけですから自分の感性を重視するのはある意味では当たり前のことでしょう。ですが自分の感覚や感性だけに依存していると企業としての成長について頭打ちになってしまいます。経営は科学的=反証可能なものでなければなりません。

実際には経営戦略と言ってもなんとなく経営者がビジネス書や新聞で目にした情報で感覚的に設定していることがあまりにも多いわけです。もちろん経営環境に目を配ることは経営者として必要なことではありますが具体的なエビデンスも確認しないまま「問題はここにある。だからこうしよう」と拙速に決断をするのは相当なリスクを伴うことになります。

本書において良い戦略とは,冷静な事実の認識(これを「診断」という言葉で表現しています)から始めるべきだと強調しています。これはひとえに経営者層の感覚に依存する戦略が多すぎて迷走しているという現実に対する批判です。これは僕自身の反省も含めたところです。いろんなビジネス書やセミナーを耳にすると新しい知識を手に入れてすぐに自分の事務所でも導入したいという衝動に駆られます。「そうだ。こういう課題がある」と認識することは経営者にとっては楽しいことですが同時に周囲を翻弄させる原因にもなります。その認識が必ずしも現状の最大の課題とは限らないわけです。というかたいていはまったく的外れなもののわけです。

人は,本質的な課題を直視することを嫌悪してできるだけ現実から目を背けるようにします。そういった問題は解決しなければならないとわかっていても過大なストレスがかかることがわかっているからです。ときには冷徹な判断を余儀なくされることもあります。そのため問題解決に対してよりストレスの少ない問題を見つけだし「これこそ本質的な問題」と自分を納得させてしまいます。その繰り返しが結果としていつまでも問題が解決しないということになるのでしょう。