200件を超える事例から身に染みてわかった。経営者が労働事件で敗れる3つの理由

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2021.01.07 (更新日:2021.01.22) 労働問題

事務所では,これまで200件を超える中小企業の労働事件に会社側の代理人として関与してきた。そこから学んだことは,拙書「社長、辞めた社員から内容証明が届いています ── 「条文ゼロ」でわかる労働問題解決法」(プレジデント社)にまとめていますのでいちどご覧になってみていただきたい。 

 これほど事件を担当してきて感じるのは,「労働事件において会社は圧倒的に不利な立場にある」ということ。おそらくこのブログをご覧になっている読者のなかにも実際に労働事件に巻き込まれて「そうだ」と共感される方も少なくないだろう。経営者のなかには,「裁判になれば中立な立場で物事を判断してくれる。だから会社の対応は認められるはずだ」と自信をもって裁判に臨まれる方もいる。だが実際には会社側に不利な判断がなされることが多いものだ。あるいは会社の意向に近い判断がされるにしても相当の時間とコストを強いられることもある。ある会社の経営者が「問題社員であることは明白なのになぜ」と嘆いていたのが印象的だった。ただ問題社員であるかは評価をともなうものだ。会社にとっての印象が直ちに裁判所でも認定されるわけではない。 

 これまでの経験を整理すれば,労働事件において会社に不利な判断がされる理由は主に3つあると考えられる。孫子の言葉に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」というものがある。労働事件も同じ。いくら予防策を検討しても経営者の配置されている状況を認識しておかなければ対策にはならない。

1 労働法に「社長」はいない。保護されるのは労働者 

 日本における企業のなかで中小企業の占める割合は,99%を超えている。しかも雇用の約7割を支えている。「日本は中小企業が支えている」と言っても過言ではないだろう。逆に言えば中小企業の社長には,たんに事業を営むだけではなく社会を維持するうえでの責務があるともいえる。こういった中小企業の基本的な在り方については,中小企業基本法という法律が規律している。日本では,中小企業であっても事業の規模などによって適用される規制が異なるので注意を要する。例えば労働関係でいえば,従業員が50人を超えると産業医を用意しないといけない。そこであえて従業員数を49人以下にしている会社もある。 

 こういった中小企業の在り方を決めるのは,なんといっても経営者の人格に他ならない。中小企業の多くは,いわゆるオーナー企業。企業=経営者の生き方のようなものだ。だからこそ労働事件においても経営者の姿勢が問われることが少なくない。 

 日本の労働関係は,労働基準法を中心とした労働法という一連の体系である。「労働」という言葉が含まれる法律は,ざっくりいって19種類ある。さらに省令などを加えると増えてきてすべてを把握するのは弁護士といえども容易ではない。しかもコロナなどが典型的だが労働関係は,社会情勢や政治の影響を受けやすく規制も変更されやすい。キャッチアップするだけでも結構しんどいものだ。 

 労働法においてまず把握しなければならないのは,「労働法は労働者を守るものであって社長を守るものではない」という厳たる事実だ。そもそも労働法の発生プロセスからしても資本主義のもとで資本家から搾取される労働者を保護するために社会福祉的見地から生じたものだ。だからいくら熱心に条文を読み込んでも「社長」という言葉ない。読む込みほどに「いかに社員が保護されているか」よくわかるだろう。ときに「社員を雇ってあげているのに」と口にする経営者を見かける。もはやそういう義理人情的な価値観は懐古主義的なものになっている。とくに労働人口の減少によって人手不足はさらに加速する。社員としても会社が気に入らなければすぐに退職する時代だ。経営者の古い感覚のままでは事業の存立自体が危ぶまれる。 

 労働法は,大企業を想定した仕組みになっていることが多い。そのため日本の労働法制と同族企業の経営スタイルは,合致していない場合があまりにも多い。合致していないなかでも帳尻を合わせざるを得ないのが経営者の置かれた立場であろう。 

2 制度は立派。運用がひどい 

 勉強熱心な経営者ほど新しい施策などに挑戦してみたくなるものだ。経営者として挑戦する姿は正しい。挑戦するからこそ新しい事業の方針も見えてくる。ただし気をつけなければならないのは,ひたすら新しいものを策定すればいいというものでもないことだ。これは労働事件を目にしていてなんども感じることだ。 

 例えば労働事件において就業規則は,会社が反論することができる数少ない根拠だ。コストをかけてきちんとした就業規則ができあがっていると代理人としても反論の筆が進みやすい。逆に言えば労務関係に興味をもっておらず就業規則も「やっつけ仕事」のようなものだと反論のしようもない。労務関係を含めた間接部門は,売上に直結するものではないため経営者の興味も向きにくい。結果として「おそまつ」なものになってしまいがちだ。せっかく売上をあげても労働事件でキャッシュがでていけば意味がない。売上からでた利益を確保するためにも間接部門の整理にも意識を向けていただきたい。とくにコロナ禍で売上確保が難しい局面においては,まずは自社の内部だけで完結する間接部門の見直しから始めるべきであろう。物事には手順というものがある。 

 それでは就業規則を作成したら終わりなのかと質問されれば,「それは違う」と答えざるを得ない。オーナー会社では,就業規則を策定したことについて満足して運用に失敗しているケースがあまりにも多い。例えば残業も許可制と就業規則で定めておきながらなし崩し的に無許可の残業を認めているような場合だ。簡単にいえば制度を運用することが「めんどくさい」わけだ。そうなると規則と現実の間隙について訴えられることになる。「そんな定めに意味はない」ということになりかねない。 

 だからこそ言いたい。「作成することで満足してはならない」と。作成したものは運用してこそ意味がある。 

3 まったく証拠が用意できていない 

 労働事件も含めた裁判は,双方が主張して立証していかなければならない。いくら熱心に主張しても根拠がなければ事実として認定されない。経営者は,「これが問題社員の真実だ」と広角に泡を立てて話すときもあるが「それで証拠は」に耐えることができない。たいていは「他の社員も聞いている」など抽象的なものだ。会社側の用意した他の社員の証言は,客観性を欠いており証拠としての意味はあまりない場合が多い。あまり期待するべきではないだろう。 

 労働者サイドは,将来の紛争を見越して証拠をきちんと用意しているものだ。診断書,写真,タイムカード,最近では経営者とのやりとりをボイスレコーダーで保存しているときもある。いずれも「いつか訴えるかもしれない」という意識があるからだ。 

 これに対して経営者サイドには,まさか自分が訴えられることになるとは想定していない。そのため口頭だけで指示などしておりなにひとつ客観的な証拠を用意していない。これでは勝てるはずがない。 

 労働事件における証拠とは,「見つけだす」ものではなく「事前に訴訟を見越して用意しておくべきもの」と考える。例えば問題社員とトラブルになりそうだと思えば,口頭でのやりとりを控えてメールあるいはSNSで実施して交渉の経緯を可視化できるようにしておくべきだ。たったそれだけのことでもまったく違う。 

 カタチなきものの争いなのでカタチの有無が決定的な差異になる。 

 いかがだったであろうか。「そういえば自分も」という気持ちになるところもあったはずだ。今からでも遅くはない。自分の置かれた状況を把握して対策を考えていこう。