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後継者・幹部育成

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いい文章には「わたし」がいない。それがいつか「わたし」のスタイルになる

島田 直行 弁護士:島田 直行 投稿日:2021.05.30

弁護士にとって文章とはまさに商売道具だ。「いかにして相手あるいは裁判所に納得してもらうか」ということで日々の文章を考えている。磨いて磨いても終わりがない。「わかりやすい文章」を手に入れるために文章術のたぐいの本はできるだけ読むようにしている。「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」は、一流のライターである著者が「書く」ということの基本的な姿勢を体系化したものだ。細かい技術論の手前にある考え方や心構えといったものだ。それなりにボリュームのある一冊なので最初は読み切れるか不安だったが読みだしたら止まらない。100年後にも残る一冊を意識されたとあるがまさに。伝わる文章を書きたいという人にはマストなものになるはずだ。個人的な感想を残しておこう。

いい文章は書きだすまえにすでにできあがっている

わかりやすい文章を技術論だけで実現できるという都市伝説がいまだにはびこっている。例えば「ひとつのセンテンスは短く」「主語と述語を明確に」などが典型的だろう。こういった技術は読みやすい文章のために必要であるが、これだけでわかりやすい文章になるものではない。短いセンテンスで書かれたものあってもさっぱり意味がわからない文章も少なくない。スピードが求められる現代においてわかりにくい文章ほど迷惑なものなどない。訴訟においてもしかりだ。ときに立派な表現で朗々と書かれているのに「どういう意味だろう」と首をかしげたくなるものにでくわす。

本書は、取材・執筆・推敲という一連のプロセスについてのポイントを整理したものだ。そのなかで強調されているのは、「書きだすまで」の準備の重要性だ。この時代においてはブログやSNSなど誰でも簡単にメッセージを書くことができる。それはいいことではあるが同時に「考えられた文章」というものを目にすることが減ってきた。なんとなく思うままに書いてしまうことだ。それはそれで面白いものだがやはりビジネス書として耐えられるかといえば疑問だ。少なくとも商品として文章を扱う人は、書く前に「考える」と言うことから逃げてはならない。面倒ではあるが。

書きだすまえに考えることは本書のなかでも詳細に触れている。個人的に「まさに」と共感したのは、文章における論理性だ。論理は、ビジネスにおける武器のひとつだ。だからこそビジネス書においても論理という言葉を目にすることが多い。それにもかかわらずビジネスにおける書面は、論理性があいまいなものが少なくない。僕自身も「書けた」と思っていても読み直すと論理性が破綻しているものがある。こうなってしまう大きな理由は、日本語における接続詞だ。わかりやすい文章においては、結論と理由がはっきりしている。英語ではBecauseを使うために論理の根拠が明確である。これに対して日本語では、なんとなく「そして」などの接続詞に頼るため根拠が曖昧になってしまいがちだ。僕は、指導においても接続詞を中心に論理性を指摘している。「そして」「だが」など便利な接続詞に頼ることで体裁は整ってもわかりにくい文章になってしまう。

僕は、自分の文章の論理性を確認するためあえて接続詞に頼らずに短文の連続で文章の骨子を下書きするようにしている。本当に論理的な文章であれば、数式のように接続詞がなくてもロジックが成立する。逆に言えばロジックが成立しないのに接続詞でごまかしている文章があまりにも多い。

文章においては何を捨てるのかこそが決定的な意味をもつ

本書では「わたし」というものが見えなくなり「あって当然のような文章」こそ理想とまとめられている。「わたしらしさを感じさせない」ものこそ「わたしのスタイル」ということになるのであろう。ここまでいくとすごい。文章というには、どうしても作者の手癖というものがでてしまう。僕の文章が好きな人は、たいてい「島田さんの文章ですね」と言われる。出版関係者の方からも「島田節です」と言われることもある。それほど「島田直行」という人格が文章ににじみ出ているのであろう。(手書きの字の汚さもと思った、そこの君。あとで職員室に来なさい)

そんな「自分らしさ」が消えた文章には憧れつつも自分にはまだまだ及ばない。そこでできるところからやっていこうと改めて感じたところだ。そのなかで参考になったのは、まず言葉を外気に触れさせる前に考えて理解するということ。本書で指摘されていることだが文章として書きだした時点で、その言葉は外気に触れてしだいに固定化していく。自分の思考も固定化された文章に影響を受けてしまう。つまり自由な発想などがしだいにできなくなる危険がある。だからこそ書きだすまえによく理解するプロセスがかかせない。これは「あたりまえだろ」と言われるかもしれないが、そうではない。ネットでちょっと調べて理解した気になっていることも多々ある。それは知ったことであって理解したことではない。理解していないまま文章を書いてしまうと文章に迷いがでてしまうものだ。これは訴訟における書面を読んでいても感じるところだ。曖昧な部分を指摘しても曖昧な回答しかされないこともある。「これは相手も良く理解していない部分だな」とわかる。

加えて本書でとくに共感したのは「捨て去る」ということの重要性だ。これは普段の仕事でも感じるところ。よく「文章をよく書けますな」と質問されることがある。はっきり言って「書くことだけ」であれば誰でも経験すればできるようになる。同じことを繰り返すだけでも分量を達成することも形式的には可能だ。それは趣味としてはあるかもしれないが仕事における商品にはならない。高い商品というのはたいていシンプルで美しい。それは文章にしても同じ。余計なものがなくかつ意味が伝わるものこそ美しい作品に値する。だからこそ文章を書くことの本質は「捨てる」ということだ。だがこれがなかなかできない。「ここを捨てたら意味がわからなくなる」からはじまって「せっかく書いたのに削除するのは気が引ける」まで捨て去ることができない理由はいくらでもある。たまに保存し忘れるという地獄の削除機能に天を仰ぐこともあるが。でも捨てるプロセスがない限りたしかにいい文章には絶対にならない。書いたままいい文章になるのはおそらく奇跡だろう。

自分の文章をブラッシュアップされたい方にはおすすめの一冊だ。

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