コロナ給付金詐欺の自首。いつから日本はこうなったんだろう

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.10.04 経営者の方々へ

コロナ給付金詐欺について自首相談が寄せられているそうです。

コロナ給付金詐欺、自首相談相次ぐ 「自分も逮捕されるのでは」

なんでしょう,この暗澹たる思いは。事業主を救済するために手続を簡素化すれば,どうしても詐欺など悪用する者がでてきます。支給の適切性と迅速性は,ある意味ではトレードオフの関係にあるため一定のリスクを引き受けるのは仕方のないところかもしれません。むしろ記事を目にして気が重たくなるのは,誘われて安易に犯罪行為に荷担する人がいるという事実です。記事にもあるように相談の大半は,学生やフリーターのようです。

「自分も逮捕されるのではないか」と不安になって相談してきたということです。おそらく本人は,それが違法であることは認識しつつも許される行為であると認識していたのでしょう。僕は,この安易に「許される」と判断した思考プロセスが怖いのです。そもそも違法ということは,「それをやってはダメ」ということです。それなのになぜ許されると判断したのでしょう。「若いから」でしょうか。たぶん違います。おそらくは「他の人もやっているから」ということでしょう。おそらく安易に荷担した人は,誘われて「これで簡単にお金になるならラッキー」というくらいにしかとらえていないのでしょう。根底には,「他の人もやっているから大丈夫だろう」という発想があるのでしょう。他の人の行為がやっていても自分は処罰されるかもしれないと考えることができない。自分と他人の境界線がとても曖昧で自分というものを他人とのつながりのなかでしか実感できないのかもしれません。

僕は,なんでもかんでも「昔はよかったね」という意識はありません。むしろ昔よりも現在こそ暮らしやすいと考えています。そんな僕でも今回の記事を目にすると日本社会の劣化というものをどうしても意識してしまいます。もちろん昔でも詐欺はあったでしょう。現在と過去を比較することができるとも思えません。それでもやはり「ちょっと違うのではないか」と感じます。

僕は,ここに資本主義のひずみを感じます。資本主義のもとでは,効率性が求められます。できるだけ少ない投資でできるだけ大きなリターンを得る。それが効率性であり社会における評価基準になります。こういった評価基準を絶対的なものとすれば,効率性という結果だけに注目してしまいプロセスに対して盲目的になります。つまり詐欺のように他人に迷惑をかけようが最小の努力で利益を上げることができればいいのだという発想につながりかねません。教育のなかでは,「結果よりもプロセスこそ大事」と言われて久しいですが現実社会では「プロセスよりも結果こそ大事」となっています。教育と現実にねじれが生じているわけです。資本主義は,こういったねじれを内部に飲み込みながら肥大化している側面があります。

僕らは,ここらでいったん立ち止まるべきです。このまま効率至上主義になれば,「自分だけの利益」を各自が求めるいびつな個人主義が繁茂してしまい社会が機能しなくなります。それはホッブスが描いた万人の万人による闘争の社会ではないでしょうか。資本主義のシステムは社会を過去に巻き戻すことになるのでしょうか。少なくとも個人の利益だけが美徳とされれば,愛情も,友情も,憐憫もないひたすら弱肉強食の世界になるでしょう。僕らは,努力の果てにデストピアを求めるのでしょうか。

僕は,渋沢栄一の「論語と算盤」を座右の銘にしています。根本には暴走する資本主義をコントロールできるのは個人の倫理観や道徳心でしかないという内容です。これからも資本主義はシステムとして存続するでしょう。そのシステムをいかに修正していくか。それはつまるところ個人の内面の在り方いかんであるように思います。