他人の意見を言葉汚く否定しても問題は何も解決しない

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.05.03 経営者の方々へ

ステイホームということで自宅で珍しくゆっくり過ごす。朝から部屋の掃除をして,衣替えをして,あとは埃をかぶってしまった本の整理をしております。こういうときにスマホを落として画面が割れるというなんとも泣きそうな事態にも遭遇しておりますが。人間思うようにいかぬことばかりですな。

時間もあるので新型コロナのニュースや記事にも目を通しています。個人的にはこれからの経済情勢にはどうしても目が行きます。出口戦略という言葉も耳にするようになりましたがいったいどうなるのでしょう。雇用調整助成金にしても2万件を超える休業計画がだされて支給決定が約300件。う~ん。個人的にはもうちょっと申請のインターフェイスを簡単なものにしないと現場の関係者の方も疲弊してしまうのではと感じます。これほどテレワークと言われているわけなので対面相談なくして誰でも対応可能なようなシステムになるといいですね。もっともこういった助成金には不正請求防止の絡みもあります。どうしても申請をシンプルなものにすれば不正請求のリスクも高くなります。経済は最後は個人の良心ってつくづく感じます。

さて報道を見ていると新型コロナに関してさまざまな意見が飛び交っております。専門家の方の意見もあれば一般の方の意見も。こういった経験は誰しもはじめてなのでいろんな意見がでるのはあたりまえです。いろんな意見がでて「これがいいよね」というひとつの回答がでるのが「意見を交わす」という意味でしょう。でも最近の論調を見ていると「なんだかな」と感じることが多いですね。なんというか批判が罵詈雑言になっているというか。

ある意見に対して言葉汚く反論する人がいます。「愚かだ」「なにもわかっていない」とか強烈な言葉を連ねて相手の意見を最後まで聞くことなく割り込んでくる。とにかく「俺が,俺が」というスタンスで。なんだか相手の意見を強い言葉で否定して黙らせることがまるで知的なように演じられています。これって議論としてどうかしていますよ。こんなんだったら内気な人とか小心な人が言いたいこと言えなくなるわけで。むしろそういう人の意見が慎重に考えられたもので魅力的なものであるときも多いのに。せっかく日本を救うかもしれない貴重な意見がどんどん表面的で感情的な意見によって埋没しているような印象です。ブログ書きながら本当に不安になってくる。

僕は,意見に対して反対することは当然あってしかるべきだと思います。もちろん反論されたらいい気はしないけれども意見というのはそういうものでしょうし。大事なことは,反対するときのスタンスです。「それは違う」と一方的に言われたら誰しもいい気はしない。でも「そういう意見もあるだろうけど僕の意見はちょっと違うんだよ」と言われたら「なるほど」という気持ちにもなるでしょう。意見に反対するときには,前提として相手に対する尊重というものが必要なんですね。仮に相手と意見や立場が真っ向から対立しても。僕は,代理人として交渉するときでも相手に対する敬意というのは忘れないように心がけています。「相手の意見をねじ伏せよう」と肩に力を入れるとたいてい交渉は失敗します。そういう雰囲気って相手にも自然と伝わってしまって緊張感しか漂わないのです。それが「意見は伝えるけど相手の意見にも耳を貸そう」というスタンスだと相手も胸襟を開いて問題解決向けて協力してくれるものです。仮に合意できず裁判になっても妥当な解決策を模索してくれます。

ご存じのように僕は,あまり周囲の空気を読まずにばっさりものを言う方です。それがいいかは別にして。でもそんな人ばかりではない。むしろ僕の周りには,みんなにとってのベストのあり方を考えてくれているのに周囲からの批判を恐れてなかなか言えない人もいます。何ともかわいそうな話で。いろんな人と出会ってきました。そのなかでも「この人はすごい」とつくづく感じるのは,「それいいね。ちょっと意見聞かせてよ」と素直に誰かの意見を聞ける人です。誰しも自分の意見を聞いてくれる人がいるというのは幸せなことです。そういった幸せな空気を紡ぐことができる人は本当にすごいし経済的な成功も手にしている気がします。おそらく根底には弱者への慈愛の念があるのでしょうね。

逆に「だめだこりゃ」というのは,常に上から目線で何かを語りたがる人です。「君は間違っている。いいかい真実を教えてあげよう」みたいな人です。こういう人は,「自分だけが真実を知っている。それを教えてあげよう」ということで自分に酔っているわけです。自己満足ベースの啓蒙主義みたいな。しかもそういった「自分だけが知っている真実」というのもたいてい根拠なきネットの記載だったりするものです。自分にわかりやすい記事しか信じない傾向もありますね。知的な人は,何かを教えるにしてもフラットなスタンスで語ることができます。少なくとも子どもらには,そういう大人の姿を見せるべきではないでしょうか。

極端な意見ってわかりやすくて人を引っ張る力を持っています。だから極端な意見は伝播力もあります。ですが極端な意見は,賛同する人とそれ以外というように分断を生みだすことがままあります。しかもはっきりしない態度の人に対しては「自分の意見に賛同か反対か」と詰め寄ります。「賛成でも反対でもない」が許されなくなります。これはとてもまずい。問題を解決する場合には,双方の意見を合わせてもうひとつの選択をすることが求められることが多いものです。極端な意見の対立下ではそういった中庸的な意見に対して「現実性がない」「時間がかかる」などといって否定されがちです。

ちょっとながくなりましたが言いたいのは誰かを言葉汚く批判しても状況を悪くするだけでなにもプラスになりません。僕らは,そういった意見から一歩引いて「そういう意見もあるよね」という前提で話し合いをしましょうねということです