情熱はたいてい周囲から消されてしまうけれども

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.10.06 経営者の方々へ

僕は,青臭いかもしれないがなにかに情熱を持った人が好きです。仕事にしても趣味にしても「これだ」とチカラをだせる人は話をしていても楽しい。なによりあふれでる熱量から学ぶこともあります。弁護士の仕事をしているとどうしても現実をクールに眺めるようになってしまうのかもしれません。クールであることは大事だと思っているが同時に熱量をもって邁進できる人にどこか憧れに近い感情を抱く。「島田さん,これはこうなんですよ。こうするとすごくないですか」と言われると「おっ,おう」とよくわからないまま納得してしまいます。まぁ,それで誰かが気をよくするならばよしとしましょう。

ただ情熱はたいてい周囲から消されてしまうのも現実です。例えばよくあるのが町おこし。情熱を胸に「地域のためにこれをしよう」と声を上げます。だいたいスタートのときはみんなも高揚しているために物事がうまくいきます。というかまだなにも具体的に決まっていないので「きっとうまくいく」という連帯感だけがあるわけです。でも実際に動きだすとしだいにノイズが増えてきます。個人的な利害関係が絡んでくるとなおさらです。しかも人は基本的に「これまで」を否定することが苦手。新しいことに対しては「前例がない」「迷惑がかかる」など抽象的な理由をあげて情熱による突破力に水を差してしまいます。難しいのは,水を差す人にはなんら悪意がないことです。とりあえずの現状を守るためにという名目で縛りをかけてくることになってしまいます。

こうやってせっかくの情熱もたんにいろんな人の意見を聞くことになってバランスのとれたなんともありふれたものになってしまいます。たいてい魅力的なものって不均衡でとんがったものなんですけど。ここまで「そうだよな」と強化する人は多いでしょう。当事者でないとわからない苛立ちや悲しみといったものがあります。もちろんバランスの取れたものを目指すのもわかります。発想が「致命的な失敗を避けたい」というものになるとどうしてもバランス重視型です。バランス重視型だと現状を打破するエネルギーがでないのです。現状は変えたいが失敗は避けたいというのがもっともよくない思考法です。たんに情熱を冷ますことだけに情熱を燃やすことになってしまいがちです。

こうなると情熱を持つ人ほど現実にうんざりしてしまいます。「なんでわかってくれない。みんなのためにしているのに」という不満が自分のなかで高まっていきます。大人の事情から周囲の意見に従わないといけないのはある意味で屈辱に他なりません。つらいんですよね,これ。それで「おかしいだろ,島田」と泣きの涙で相談に。こちらとして「まぁ腐るな。飲みにでも行こう」と。そしてなぜかこちらが支払をするという。。

でも何かを達成するときってノイズばかりです。それが世の常です。何かを達成できた人は,なんというか小さな情熱でもずっと燃やし続けた人なんですよね。人は不本意でも頭を下げないといけないときもあります。あるいは不満があっても周囲の意見に従わないといけないときもあります。それが実務であり現実。それであきらめたらいかんわけです。情熱のある人は,短期間で何かを達成したいという強い意欲があります。でも現実を変えるにはやはり時間がかかるものです。大事なことは自分の向けたベクトルに対してほんのわずかでも変化を提供し続けることです。できることを淡々とする。協力してくれる人をひとりでも増やす。たぶん情熱の色合いは地味。地味だからこそ強いのではないでしょうか。派手なのはすぐに飽きられますから。