敬老の日に地方における百貨店について考えてみる

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.09.21 経営者の方々へ

今日は敬老の日。国内の高齢者が最多の3617万人ということです。ご存知のように日本は社会の高齢化という課題を抱えています。人類の平均寿命が伸びるなかで考えていかなければならないことはさまざまあるでしょう。個人的な次の3つのポイントがとくに大きな問題のようになります。

まずは介護の問題です。これはすでに現実的な課題になっていますね。そもそも少子化で介護をする側の人口が不足しています。そのうえ山口県では,子どもらが進学や就職で都市部に向かい親だけが県内にいるというケースがすくなくありません。「親には時期を見て施設に入ってもらうしかない」と考えている人もいますがはっきりいって安直です。施設といえども無尽蔵に人手と資力があるわけではありません。自分の納得できるような施設となると相当のコストがかかるときももちろんあります。「なんとなく誰かがうまくやってくれるはず」という意識では路頭に迷うことになると思います。

次に雇用の問題です。ご存知のように中小企業は絶望的なほどに人手不足です。いかなる企業でもできれば若い人を期待しています。ですが現実にはこない。それでも仕事をこなさないといけないのでなんとか定年退職した人に依頼して仕事を回しています。なんとなく仕事が処理できているからいいようなものですが問題の抜本的な解決にはなりません。年齢を重ねれば身体に不調がでることも予想されます。若いときのように無理をして仕事をこなすということもできないでしょう。さりとて年金の減額が予想されるなかでは定年だからといっていきなり定期的収入が減少することも不安です。労使ともに「定年後の雇用」について退職金の支給額も含めて考えを見直さないといけないでしょう。

ラストは人生の質です。年齢を重ねていけば自然と体力も低下していきます。あるいは身体に病気がでてくるかもしれません。そのときにどの範囲まで治療するかは永遠の課題です。おそらく正しい答えというものはないです。積極的な治療を求める人もいるでしょう。あるいは積極的な治療よりも痛みを緩和したうえでの自然な流れを希望する人も当然いるでしょう。むしろ大事なのは,そういった個人の意志にどれだけ寄り添えるかです。やはり元気なうちに自分の意志を明確に周囲に伝えておくべきです。なにげなく積極的な治療は求めないと言っていてもいざ家族が決断を求められると「できるだけの治療を」ということなるでしょう。家族に決断を求めるのは酷です。自分のことは自分で決めないと。

こんな感じでこれからの高齢化社会の問題を考えてみました。ですが関連してもうひとつ加えるなら地方としての百貨店についてです。だいぶ話が飛びますが。。

これはみなさん共感されるのでしょうが年配の方にとって百貨店とは自分の人生の思い出そのものなんです。子どもの頃のおもちゃ屋も,デートで食べたケーキも,家族と行ったレストランも。とくに地方都市で生まれ育った人にとっては,百貨店こそ非日常の場所でした。ですから年配の人には,「百貨店はなかったら困る」という声が強いです。実際には百貨店で購入する機会が少なくなっても「そこに百貨店がある」ということが支えになるのでしょう。さりとてご存知のように地方としての百貨店は変革の中にあります。

「さようなら百貨店」そごう徳島閉店に見る地方の現実

記事の中にもあるように百貨店がなくても普段の暮らしを維持することはできます。とくにネットが発達したことによって「欲しいもの」があれば自宅でたいていのものを取り寄せることができます。おそらく百貨店が提供していたのは,高価な商品・サービスそのものではなく「非日常の空間」だったのでしょう。自宅のPCでいくら洋服をセレクトしても百貨店で店員さんとコミュニケーションをとりながらなにかを選択するという経験はできません。仮にできたとしてもチャットやビデオ会議でしょう。これらは情報を伝達することはできても非日常感をかもしだすことがなかなかできません。

僕らは,普段の暮らしに安心しつつもどこかで飽きているのかもしれません。だからこそ非日常の場所が消えていくことに寂寥感を覚えるのでしょう。これからの地方都市における百貨店が生き残るのは,市民が覚える非日常感とは何かについて踏み込んだ考察が求められるような気がします。