『AIの時代と法』コードが法に変わる日がやってくるのか

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.01.03 その他

社会規範のルールとしての法は,AIの時代においてどのような役割を果たすべきなのか。法律家として疑問を抱きつつもなにから考えていけばいいのかよくわからないのが現実だ『AIの時代と法』は,そういったぼんやりとした疑問に対して考えるヒントと視点を提供してくれる良書だ。新しい分野に挑戦していく経営者の方にも参考になる。

モノからサービスへとすべてが変わっていく

日本の民法は,今年になって150年ぶりの大規模な改正がなされる。いわゆる債権法改正といわれるもので企業でも従来の取引契約書の変更や修正が必要とされる。日本の民法は,明治時代にフランス法の影響を受けながらできあがったもので戦後にできた現行憲法よりも歴史がある。逆に言えば明治時代にできた法律をいろいろ修正しながら現在まで利用してきたわけだからある意味ですごい。さすがにインターネットなど従来予定していなかったものが広く普及したことで法律の大幅変更ということになった。

このように法律は,社会の変化にともなって変更していかなければならない。さりとて軽々しく変更していたら安定した取引ができない。朝令暮改の法律というのも困ってしまう。変化と安定のバランスをいかに実現していくかがポイントになってくる。

現在の民法は,物の取引を基本的に前提にしているものだ。だが時代はモノからサービスに変更している。しかも所有よりも利用ということが重視されるようになった。例えばサブスクリプションにしても根底にあるのは「継続的な利用」である。なにかを所有するということの意味がしだいに薄れてきている。そのため既存の民法ではAI時代のサービスを十分にフォローすることが難しくなるだろう。

本書のなかで製造物責任について触れている部分があるが面白い。製造物責任は,消費者保護のためにメーカーに責任を課したものだ。メーカーは,問題のない完成品を作らないといけないということが当然の前提になっている。さりとてプログラムの場合にはそういったことにはなかなかならない。実際にはサービスの提供をはじめてバグが発見されしだい適宜修正していくことが前提になっている。誤解を恐れずにいえば,サービス開始の時点で完璧なものは想定されていない。そのため製造物責任をどうやって問うことができるのかという問題がでてくる。自動運転の自動車などを想定してもらえばいい。

誰がルールを決めていくのか

法というのは,共同体を維持していくためのルールに他ならない。みんなが話し合ってひとつひとつ決めていくような牧歌的な世界観はもはや無理だ。みんなでルールを事前に決めておくことで「やっていいこと」と「やってはまずいこと」を知ることができる。法は,何かを禁止することで同時に何かをすることを許容するものだ。

法の典型例は法律だ。国民主権のもとでは,法律は国民の代表で構成された国会で作りあげられ行政により執行される。これはあたりまえのことのように感じるかもしれないが本当に将来も同じままであるのかわからない。

情報技術が著しく発達して複雑なプログラムを理解できるのは,一部の人に限られてしまった。僕を含めた大半の人は,そのサービスを受ける我だけの側に固定化されている。となればプログラムの内容にとってルールが決まってしまうことになりかねない。日常生活にこれほどITが取り込まれているなかで今さらスマホなくして暮らすことは多くの人にとって不都合を強いられるだろう。気がつけばプログラムされたルールによって暮らしているといったほうがいいかもしれない。

そういった状況を本のなかでは,「コードが法に代わる」という言葉で端的に指摘されている。短い言葉の中に現代社会の抱える問題が表現されている。

僕らの生活スタイルがコードによって決まってくるとなれば,コードを組んだ人がルールを実際のところ作っていくようなことになりかねない。もちろんコードを組んだ人にはそういう意識はないかもしれないが事実上そういうこといなってしまうことは想像に苦しくない。そのとき法というのはどういういみがあるのだろう。

技術というものはときに暴走するリスクがある。それは歴史が証明していることだ。だから技術については法によって規制しようということがなされてきた。安定した暮らしのなかで。

でもこれほど技術革新が急速に発達すると法律を作るにしてももはや技術を理解できない。理解できないものを規制するのは容易なことではない。これは法律家だけが考えるべきものではない。あらゆる人が考えるべき問題だ。

AI時代の法を考えるのは,僕らがどのような暮らしをしていきたいのかを考えるのと同じなのかもしれない。