つまるところ印鑑って必要なの。という素朴な疑問

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.06.21 その他

日本を象徴するのが押印文化。これまでも「印鑑なんて不要だろ」と誰しも思いつつもなぜか払拭できないまま現在に至る。なかには「上司も押印する場合には,こんな感じで印鑑を」なんというほとんど狂気のような押印文化の話も耳にする。必要性がないにもかかわらずなんとなく続いているものを変えていくのは難しい。既存のシステムを変えるだけ強烈な圧力が必要とされる。

新型コロナによっていきなりテレワークが市民権を手に入れた。「テレワークなんですよ」といっても「そうですか」で終わってしまう。1年前だと「先進ですな」とでもいわれただろう。テレワークの広がりのなかで課題としてとりあげられるのが押印文化。「印鑑必要だから出社しました」というもはやテレワークの意味がわからなくなるようなコメントも目にする。新しい働き方を求められつつ旧来の押印文化に引っ張られているのが実情だろう。

政府としては,新しい働き方のために押印についての柔軟な対応を求めている。そんななかで話題になっているのが法務省が令和2年6月19日付で発表した「押印についてのQ&A」というものだ。内容としては,「そこまで押印にこだわらなくてもいいいでしょ。他にも方法はありますよ」というもの。法律家にとっては,特段目新しいものではないが初めて読むと混乱するかもしれない。いきつくさきは「印鑑いるの。いらないの」という疑問だろう。そこで契約の成立からちょっとひもといて解説してみようではないか。こう見えても弁護士資格を持っている。

契約は合意で成立する。契約書は不可欠ではない

そもそも基本的に契約というのは,当事者の合意によって成立する。一部の契約では書面の作成が契約成立のために必要とされるが基本的には契約書があってもなくても「合意」があれば契約としては成立する。つまり口頭でも合意だけでも契約としては成立する。

ただ口頭での合意というのは,カタチが残らない。事後的に契約の内容で誤解がうまれてくる。どういった契約をいつ成立させたのかをはっきりさせるために契約書というものが必要になる。

契約書というのは,当事者双方がどのような契約をしたのかをはっきりさせるためのものだ。そのため絶対的に紙ベースでなければならないというものではない。当事者が口頭で話した内容を録音するのでもいいあるいはメールの履歴でもかまわない。要は容易に改ざんされなければいい。

中小企業の場合には,契約書がないようなケースも珍しくない。そういう場合には契約内容の証拠としてメールやメッセンジャーの履歴などを提出して契約書の代わりにすることも珍しくない。ただチャットなどの場合には,事後的に当事者は編集できたりするので証拠として取り扱う場合には注意を要する。大事なやりとりはメールで残しておくことも意識しておくべきだ。

なぜ契約書で押印が求められるのか

では本題である押印について整理していこう。問題設定としては,「なぜ契約書で押印が必要なのか」ということになる。ものすごくざっくりいえば,民事訴訟法228条4項が「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」と定めているからだ。

この条文について考える前に「署名」と「押印」の言葉の整理をしておこう。条文では,「署名又は押印」と書かれている。一般の人からすれば,署名+押印とイメージが強いかもしれないが「又は」だ。署名とはものすごくシンプルに言えば自筆のことだ。例えばゴム印やワープロで名前を下手打ちすれば署名にはならない。これは「記名」と呼ばれる。これに対して押印とは,印判を押すことだ。ワープロ打ちされた自分の名前の横に印鑑を押せば,記名と押印ということになる。

契約書が有効であるためには,文章が真正であることが必要とされる。文章の真正というのは,シンプルに表現すれば作成者とされる人が意味を理解して作成しているということ。あたりまえといえばあたりまえだが世の中には偽造された文章もあるわけで文章が真正であることは大事なことだ。

ちょっと話が変わるが一般的に契約書を作成する場合には,自筆で氏名を書いた上にさらに押印も求められる。だが条文にもあるように自筆つまり署名があれば文書の真正は推定される。署名のうえに押印を求められるのは,契約が確実に成立したことを担保するためだ。ちなみに署名したうえに押印することは,署名捺印といわれることがある。署名捺印と記名押印という組み合わせになる。

押印は文書の真正を推定されるがゆえに重視されてきた

話を押印に戻そう。押印については,さきの法務省の資料にもある「二段の推定」という有名なロジックがある。民事訴訟法228条4項では「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」と規定している。ここでいう押印は,あくまで自分の意思に基づいてなされたものだ。

まず印影は本人の意思に基づいて作成されたものと推定される。(第1段の推定)これにより民事訴訟法228条4項の「押印」に該当し文章が真正に成立したものと推測される。(第2段の推定)こういったロジックを二段の推定という。

「推定」というのであるから絶対的に真正というわけではない。ただ「この文書は真正ではない」と主張する側で具体的な根拠を示していかなければならなくなる。このように押印は,文章の真正を推定するチカラがあるために重視されてきたわけだ。

これからの時代は押印文化も変わらざるをえない

「ITが発達したからいきなり押印文化がなくなる」というのはあまりにも極端な意見だ。これまでのシステムが押印ベースなのであるから押印文化がいきなりなくなるというのは想像しにくい。ただ時代として押印文化は当然変化していくだろう。

契約の成立に関しては,メールのやりとりなどで立証が代替されるケースも増えてくるだろう。あるいは電子署名も利用が広がってくるかもしれない。電子署名については別の機会に記載していく予定だ。最近ではクラウド上での契約締結を支援するサービスもでてきている。

ITによって法律分野も様変わりしている。3年後社会はどうなっているのか楽しみだ。