僕とあなたはつながっている。だから分断を超えていこう

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.03.28 その他

増加するコロナウィルスの感染者数を耳にすると言いようのない気持ちになります。あらゆる会合がキャンセルされ人に会うことを控えるように指示される。こんな状況はおそらく誰も経験したことがないでしょう。おそらく僕らが共有する感覚は,「このまま日本はどうなっていくのだろう」というぼんやりとした不安や寂しさといったものでしょう。

僕の場合には,とくに寂しさというものを感じることが増えました。具体的に何かあったわけではないのです。ただいつでも会えていた人が自由に会えない。メールでも電話でもやりとりはできるのになぜか寂しさに近い感情を抱いている自分がいます。ひとりブライアン・イーノ氏の曲をかけながらじっとPC画面を見ているのですがどうしようもない感情が自然とあふれてきます。自由に会えない状況になってはじめて自分はたくさんのひととつながっていることを感じます。

「あまりまえの日常」というのは,決して「あたりまえ」ではありません。たくさんの人の努力と奇跡で成立しています。今回のコロナウィルスショックで誰しもが感じたのは,日常というのはたんにルーティン的なものではないということでしょう。

このところネットなどで気になったことをひとつ。なんというか誰かの意見を言葉汚く批判するケースを目にすることが続きました。ただでさえみんなコロナウィルスで疲弊しているのに言葉汚い批判のやりとりを目にするのはなんともつらいですね。「見なければいい」という意見もあるでしょうが,それもまた批判としてあまりにも雑でしょう。

いつから僕らは,誰かの意見に罵声を浴びせ否定し自説を声高に述べることを「議論」として認めるようになったのでしょう。それは違うと思います。何かを議論すること目的は,目の前の課題に対するベストな回答をみんなで探しだすことです。決して相手の意見を否定することが目的ではないはずです。ひたすら意見を否定すれば,やはり否定された側は落ち込んでしまうし萎縮します。言い切った人は「勝った」と悦に浸るかもしれませんが社会全体としてもしかしたら貴重な意見が失われ大きな損失をしているかもしれません。

相手の意見を否定することに満足する人は,とかく問題をシンプルにしてAかBかの選択論に持ち込む傾向があります。もっといえば自分の意見に従うか否かという構造です。ある意味でものすごくわかりやすい話になります。こういう人にとっては,自分の意見に従う人=正しい人,自分の意見と違う人=間違っている人という認識になっているのかもしれません。

問題をシンプルにするのは,考えることの負担を軽減させるからです。考えることは,決して楽なことではないです。真剣に考えるほどに疲れる。でもAかBかというように極端にシンプルなものだと考えやすく自分でもわかったような気になります。わかりやすいからこそ拡散力もでてきます。

でも問題をシンプルにしすぎてしまうと実際の問題とは違ったものになってしまう危険があります。しかも自分と違う意見をひたすら否定することにつながりかねません。

僕は,声を荒げてなにかを討論していい結論がでるとはとうてい思えない。かっこいいとも思えない。「僕とは意見が違うな。でもそういう意見もあるよね」というような議論がしたいわけです。実際のところAのいいところ,Bのいいところをそれぞれいいとこ取りして問題を解決いていくべきなんですよ。AかBというふたつの選択肢だけで考える必要なんてないでしょう。そんなことをしていたらどんどん人間関係が殺伐なものになる気がします。「自分にとって特になる人なのかどうか」でしか人間を計測できなくなります。

僕は,コロナウィルスショックでみんなが分断していくのではないだろうかととても不安です。「自分さえよければいい」という人間の心の底にある感情がもろにでてしまうと本当に修復可能な社会の劣化を導きだすような気がしてならないのです。みんな気が滅入っています。でも自分はひとりではない。誰かとつながっている。そういう意識は大事ではないでしょうか。