医療の専門外の僕らができるのは,自分の失敗を語ることではないのかな

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.03.29 その他

ブログを書くたびにコロナウィルスという言葉を打ち込むことになって自分でも「なんだかな」という気持ちになります。でも現実から目を離すわけにはいきません。連日の報道を目にするたびに一日も早い事態の収束を願うばかりです。

同時に今回の問題の解決に尽力されている医療現場の方々へは感謝の念しかありません。「やはり医療というものはすごい」と改めて感じます。知見や技術ももちろんですがなにより「人を救わなければ」という矜持こそおそらく医療が崇高なものである最大の理由でしょう。医療の知見を有さない僕らができるのは,医療専門家の意見を聞き冷静に指示に基づいた行動をすること及び医療現場の方々へ感謝の念を伝えることでしょう。

ときにまったく専門的知見も有さない素人の人がネットや人づてに耳にした知識などでわかったように自説を唱える場面に遭遇するときがあります。素人の僕から見てもかなりエキセントリックな内容にも関わらず「これが真実だ」という感じで迫ってきます。こういう人は,真実を告げるということが目的ではなくて「他人は知らないことを自分は知っている。私はそれを教える立場にある」という優越感を味わうことが目的です。だから内容の真偽についてはたいした興味を持っていません。とにかく他人の知らないことを語ることができればいいわけです。

みなさんも共感してもらえるだろうけど専門家でもない人がちょっとした知識ですべてを理解したようなスタンスでこられると対応に苦労します。知識というのは,全体の体系のなかでの位置づけが重要です。専門家は,たんに知識を知っているだけではなくひとつの体系のどこに知識があるかを理解しているがゆえに専門家です。弁護士という立場からしてもネットなどでかじった知識をすべてと信じて相談に来られると対応に悩むときがあります。「それは本件では違いますよ」と説明しても「そんなことはない。事前に調べてきたんですから」ということに。否定すれば否定するほどに「自分は正しい」という確信を深めることになってしまってなかなか話が進展しません。こういうことはあらゆる業種で見受けられます。

大人の知性とは,自分の知っていることと知らないことをきちんと仕訳している人だと考えています。そして知らないことについては,知っている人に「わからないから教えてください」と言える人。僕の強みは,自分の分からないことを教えてくれる人に囲まれていることでしょうか。それは「先生」と呼ばれる人に限ったわけではありません。社員の人もいれば,主婦の人もいる。それぞれの人が自分の役割を担って社会を維持しています。その意味ではすべての人が自分の役割を担っている部分では「知っている人」にあたります。たぶん「教えを乞う」というスタンスは,教育的にも大事なことでしょう。

僕は,出身高校の吹奏楽部のコンサートに毎年寄付しています。わずかな金額ですけどね。今年はコロナウィルスの関係で予定していたコンサートが中止されたそうです。その関係で寄付の返金などの連絡がありました。僕としては,これからの活動に利用してもらえばよかったのですが。

それにしてもコンサートのために努力してきた生徒さんにとっては残念だったろうなと。これからこういう事態は増えてくるような気がします。高校野球が中止になったように生徒さんが目標としていた大会が中止や延期になることが当然予想されます。自分の青春という時間を費やして目指してきたものが自分とは関係のない事情によってなくなる。積み上げてきたものを表現する場所がなくなる。これってどうしようもない虚無感や寂寥感を子どもたち与えることになりかねません。不完全燃焼のまま時間ばかりが過ぎ去るということにもなりかねません。なかには方向性を見失って悩む子どもがでてるかもしれません。

そういうときに僕ら大人がするべきことは,自分の失敗や挫折を自分の言葉で語ることです。落ち込んでいるときに他人の成功談は響かないものです。成功談を読んで高揚するのは,自分自身の暮らしがそれなりにうまくいっているときです。例えば入院中に他人の成功談を聞かされてもつらいでしょう。これに対して失敗談は,相手にも伝わりやすいです。僕は,これまで数え切れない挫折や失敗を繰り返してきました。挫折の真ん中にあるときには,将来に対する希望とか言われてもピンと来ないしむしろうっとうしい。それでも時間をかけながら挫折の状況から戻って歩みだしてきたわけです。そして歩みだしたらまたこける。人生なんてものは躓きと立ち上がりの繰り返しでしかありません。

語るべき挫折なんて誰しも持っているはずです。「我が人生に挫折なし」と豪語する人は,なかなかお付き合いしにくい人かもしれません。。「あのときはしんどかった。でもなんとかなった」と語ることが僕らが子どもらに今伝えるべきことのように感じます。自分の挫折を語れるというのは,大人の自信があるからです。

人生にはさまざまな選択肢があります。落ち込んでいると選択肢が見えなくなります。挫折の話は選択肢を見つけるヒントになります。日頃は人間関係などに悩んでいる大人もこのときはきりりとした顔で自信をもって挫折を語ろう。