生産性が悲しく響く。こんな会議はだめだろ

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.10.13 その他

日本における生産性向上が声高に説かれている。「もっと効率的にするにはどうしたらいいのか」とまさに上下関係なく頭を悩ましている。生産性を向上させることに反対する人はおそらくいないだろう。誰だって短い時間で給与をもらえればうれしいはずだ。そんな生産性が悲しく響く場所がある。それが会議だ。コロナ禍で対面式の会議はもはや絶滅しつつあるものの代わりにあるのがウェブ会議。今まで散々「ウェブ会議にしましょうよ」といっても相手にすらされなかった人から「ZOOMでいいじゃない」と平然と言われると自分はタイムトラベラーのようにすら感じてしまう。ウェブ会議によって移動時間は短縮された。実際に会議自体の時間もずいぶんも短くなった。これまでの会議は一体なんだったのだろうか。時間返せよ。と思わず泣きたくなる。それでもいまだに「これは生産性が悲しいぜ」という場面に出くわす。「だから人の時間を奪うな」と言いたくもなる。そんな不満を抱きながらのブログだ。苦笑

とにかく自己紹介はやめてくれ

対面式の会議で顕著なんだがひたすら参加者の紹介で時間を取られることがある。ウェブ会議でも時間取られるときもある。ひたすら画面を見ながら紹介者が会釈をしてこちらも会釈をする。「これが日本的な文化なのか」と。この画面だけを眺めるむなしさよ。正直なところ参加者の方の肩書きにはさしたる興味はない。大事なことはいかなる意見を言えるかだろう。略歴や肩書きについては事前に配付資料のなかに書いてもらえれば十分だ。必要なら目を通している。紹介を受け立ち上がり「よろしくお願いします」と頭を下げる。それは丁寧な対応なんだろうが10人にもなると待ち時間だけで予定した時間の3分の1を占めてしまう。本当に勘弁して欲しい。

資料を読みあげる意味はあるのか

会議において資料をすべて読みあげる景色を目にすることがある。作成者としてはきちんと口頭で説明するのが本筋と思われているのだろう。ありがたいとは思うが意味があるとは思えない。そもそも資料は事前に配布することが最低限のマナーだろう。机上配布はどうしても事前配布ができないものに限るべきだ。しかも紙ベースはできるだけ避けるべきだろう。少なくとも生産性を唱えるのならなおさらだ。「読まれて初めて知りました」というのは,事前の資料を目を通していないことを露呈するだけだ。効率化するためには資料の読みあげは廃止するべき。すくなくとも口頭では紙面にないことだけを伝えるべきだ。

おいおい座談会だったのかよ

あと最後に辛いには何も決まらない会議。なんとなく議題があって,参加者が勝手に意見を述べて,意見を集めだけで何も決まらない。そして「では次回の日程を」ということになる。大事なのは決定でしょうがと言いたくなる。人の時間は無限に訳ではない。しかも決めるべきことは早く決めることに越したことはない。意見を自由に述べるだけなら会議ではなく座談会でしかない。会議は決めて行動に移してこそだ。会議を開催したことに満足していないか。ウェブ会議では典型的だが会議と言いつつ語ることが好きな人の独演会に陥りやすい。「もういいよ」とつっこみなくなる。本人に「自分はしゃべりすぎ」という感覚はない。たいていは「自分は必要最低限のことしか話せなかった」という認識だ。う~ん。。。

という感じで不満は募る。会議が簡単に開催できるようなったからこそきちんとした会議で会って欲しいと切に願う。本当に願う。これ以上に時間を奪わないで。