問題社員への対応。社員にはスキルよりも求めるべきものがある

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2021.09.01 社労士の方へ

本日は定例の社労士の先生方とのオンライン勉強会。勉強会と言っても普段感じたことや考えたことをつらつらとお伝えするだけの1時間になっている。個人的にはこういった肩の力の抜けた勉強会こそ士業にとって大事ではないかと勝手に前向きにとらえている。なにごとも自己満足に勝るものなしだ。今回のテーマは「問題社員の指導でやってはいけない」ということではあったが最初から話が外れた。イントロは士業のDXについて持論を展開した。士業のDXについては個人的に研究をしている分野ではある。

そもそも論だが企業をはじめとしたDXが展開しにくい理由は,DXをたんにクラウドサービスの導入といった短絡的にイメージしてしまうことにある。「どういったサービスを導入すればいい」という質問などは典型的だ。でもサービスの種類なんてものは日々進化しているのであって絶対的な正解なんてものはない。導入しても時間がたてばもっと便利なものがでてくるに決まっている。DXというのは,そういった場当たり的なものではなかろう。個人的にDXというのは業務フローの破壊と創造にあると考えている。たいていの企業や士業は,既存の業務フローを前提にデジタルサービスを割り付けようとする。つまり業務フローに触ることなくデジタル化を進行しようとする。これだとパッチワーク的なシステムになってしまう。僕が悩んでいたのもここ。いわゆるDXというのは業務フローを変えることに他ならない。業務フローをデジタル対応しやすいものにするということ。これができていないからいつまでもサービスが安定しない。こういったデジタル化はよりいっそう進行していく。立ち後れることは事業の存続にすら影響する。これは士業にしても同じ。「アナログのお客が多いから」と立ち止まっていたら自分まで沈んでしまうから気をつけないといけない。ガシガシDXを進めるべきだ。どこかで士業向けのセミナーもやってみる予定だ。

本題に戻る。チームとしての生産性を高めるうえで必要なのは,個人のスキルよりも協調性だ。とかく個性の重視が声高に語られるものの「我が道を行く」という社員がいると職場が凍えてしまうのみならず分裂すら生じてしまう。協調性は,個性と対立するようなものではない。協調性をもちつつも個性を表現している人もいくらでもいる。協調性か個性かという問題意識こそ間違っている。加えて最近では同調圧力という問題もある。日本では同調圧力が強いと指摘される。それは間違いのないことだろう。ただし同調と協調はこれまた違うものであって同一視されるべきものではない。同調というのは周囲の意見に盲従すること。協調とは周囲との関係で自分の役割を果たすこと。こういった協調性は職場のパフォーマンスに直結する。個人のスキルなどよりも協調性こそ重要だ。

協調性のないひとには,協調性の欠落についてまったく自覚がないものだ。自覚がないから指導しても改善には至らない。たいてい育成は無駄な努力で終わってしまう。だからこそ採用時における協調性の判断は重要である。面談に依存すると印象採用になってしまい協調性の判断が疎かになる。個人的には適性検査といった客観性のあるスケールによる判断に基づくべきと考えている。もっともいかなるスケールが適切であるかは未知数。これからの研究の範疇にある。こういった採用におけるフォローはこれからの先生方の職域になるはずだ。

協調性のないひとを採用してしまった場合には,退職を勧めていくのも労使双方にとって必要。お互い気まずいまま仕事をしていくのがいいこととは限らない。どかで割り切って袂をわかつことが人生において有意義なこともあるだろう。協調性は他者との関係性のなかで評価されるものだ。ある職場で協調性がなくても他の職場では協調性がとれる場合もある。

勉強会の最後で「士業としての自信」について自説を語ってみた。個人の印象は文末によって強く印象づけられる。そして自信というのは断言することだ。「それはわからない」と自信をもって回答するとかえって周囲に力強い印象を与える。知性というのは,自分が認識していることとしていないことの区別が明瞭であることだ。なんとなく自分が不利な状況で取り繕うとすると絶対に失敗する。「知らない。それがなにか」というくらいの自信が現場では求められる。これは交渉においても同じ。誤解されがちだが知識の量と交渉力にはたいした相関関係はない。知識の量が多くても交渉でだめなひともいる。逆に知識の量は少なくても圧倒的に交渉に強い人もいる。ようは発言に自信があるかだ。「わからない」と断言できるためには,自分の弱さを受け入れる必要がある。たいていの人は弱さを隠そうとするからかえって無理なことをしてしまう。自分弱さを知る人は誰よりも強い。