
「人と比べずに、自分と比べる」は本当か?
弁護士:島田 直行
投稿日:2025.05.13
「人と比べる必要はない。比べるなら、過去の自分と比べなさい」。
そんなアドバイスを耳にすることがあります。もちろん、その言葉には大切な意味が込められていて、理想的な姿かもしれません。
けれども、実際には、それほど簡単に割り切れるものではないのが人間というものです。私たちは意識しなくても、つい他人と比べてしまいます。そこには「ステータス・ゲーム」と呼ばれる、人間が社会の中で生きるための無意識の競争構造があるのかもしれません。
最近読んだ『ステータス・ゲームの心理学:なぜ人は他者より優位に立ちたいのか』(ウィル・ストール著)には、この「比較する心」の正体について深く掘り下げられた内容が書かれていました。人は、望むかどうかに関係なく、他人との優劣を意識しながら生きている。これは生存本能に根ざしたものであり、理性だけで完全に制御できるような単純な話ではないようです。
特にビジネスの世界では、どんなに理想を掲げたとしても、結果として誰かより成果を出すこと、勝ち残ることが求められます。それがモチベーションになり得る一方で、心をすり減らしてしまう原因にもなりかねません。
このゲームのやっかいな点は、一度足を踏み入れてしまうと、誰もがその中で競わざるを得なくなるというところにあります。本来は静かに自分の道を歩きたいと思っていたはずなのに、いつの間にか「上を目指さなければ」という気持ちに駆られてしまう。気づけば、他者と比べることでしか、自分の輪郭を捉えられなくなってしまうこともあるのです。
もちろん、ステータス・ゲームのすべてが悪いわけではありません。努力や成長のきっかけになることもあるでしょう。ただし、あまりにも没頭してしまうと、地位や評価が人を変えてしまい、時には壊してしまうことさえあります。
そのような危うさを避けるためには、やはり「どこかで満足する」という意識が必要なのではないでしょうか。
老荘思想にある「足るを知る」という考え方は、今の時代にも通じる知恵だと感じます。勝利や成功を手に入れれば、一時的な高揚感に包まれますが、それに酔ってしまえば、次の勝利を追い求める無限ループに陥ってしまいます。そして、その先には、心身の疲弊や人間関係の崩壊といった代償が待っているかもしれません。
だからこそ、私たちは「今あるもので満足する」「自分にとって十分なものを見極める」という意識を大切にしなければいけないのだと思います。それは決して諦めではなく、むしろ、長く穏やかに自分らしく生きるための知恵なのではないでしょうか。
他人と比べて疲れてしまったときこそ、自分の中にある「これで十分」という感覚に目を向けてみる。
そんなふうに、日々を整えていくことが、ステータス・ゲームと上手に付き合うための第一歩なのかもしれません。
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