クレーマー問題の根底には何があるか:現代の「人」と「人間関係」を見直す

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2019.11.17 (更新日:2019.12.02) クレーマー対策

新刊についてメディアの方と話をすることが増えてきました。記者の方との会話のなかで「なぜ本書を書くことにしたのか」について触れることがありました。執筆の動機を深めていくと「なぜクレーマーで悩む人が増えてきたのか」という問題につながっていきます。これについてちょっと僕個人の意見を書いてみます。

僕の根底には,社会の分断に対する危機感があります。

本来であれば社会がひとつの共同体として機能するには,そこになんらかの合意が必要です。そして合意を形成するには,ときに譲歩をすることも必要です。みんなが自分の意見に固執することなくちょっとずつ譲歩することで「よりよい解決策」というものが合意されるものといえます。こういった合意の形成には,それなりに手間と時間を要します。「スピード重視」の現代ではなかなか難しいかもしれませんが円満な人間関係を維持するうえでは大事なことです。

こういった相互の譲歩(これを法律分野では互譲といいます)が成り立つためには,相手として生身の人間が必要になります。コミュニケーションは,たんなる記号としての言語のやりとりで尽きるものではありません。相手の表情や雰囲気なども感じながらコミュニケーションは成り立っていきます。相手の様子を目にして「なんかまずいこと言っちゃったかな」とブレーキがかかるのはコミュニケーションとしての正常な機能が作動したものといえるでしょう。

ですが最近はコミュニケーションの方法が直接会うということからテキストベースに変わってきました。そこには生身の相手がいません。ですから「相手を意識して」というブレーキがなかなか効かなくなってしまいます。結果として普段なら口にしないような攻撃的な表現をしてしまうことになります。

僕としては,「だからテキストベースをやめましょう」という安直な意見を述べる気はないです。テキストベースは便利ですし重宝しています。いまさら辞めるということもできないでしょう。言いたいのは,「テキストベースは人に会うのと違うから注意しよう」ということをみんな意識しましょうということです。そのうえでたまには「会う」という経験を意図的に持ちましょうということです。

ネットで僕らは,自分の好きな情報を選択的に手に入れることができるようになりました。それは効率的に情報を手に入れることができるようなったといえるでしょう。ただし同時に僕らは,自らの趣向にあった情報で固めることで自分の趣向にあわない情報に触れなくなったともいえます。そして自分の趣向にあわない情報=間違った情報というように想定するようになります。

これは人間関係にもあてはまります。つまるところ「自分の趣向に会う人」と「自分の趣向に会わない人」に分断してしまいます。そして自分の趣向に会う人とつながりを強固なものにするために自分の趣向に会わない人に対して過激な表現などを用いて批判するようになります。

でも世の中ってそういうものではないでしょう。みんながみんなノリがあうわけではないです。むしろあわない人の方が多い。笑 

だからこそ「そういう考えもあるよね」と相手を攻撃せずに評価するべきところを評価する姿勢が必要でしょう。

弁護士の討論というとディベート大会みたいなのを想像するかもしれません。そこにあるのは相手の意見をいかに論破するかです。ですが僕は,日本的な問題の解決としてあのようなスタイルがいいとは考えていません。コーヒー飲みながら「この問題どうしようか。うまく終わらせようよ」「それはいいね。でもそれだとこっちも立場ないからこうしませんか」といかいう緩い話し合いで合意形成する方が日本的な考え方にあっていると考えています。

みんな勝ちたいわけではなくて人間関係にしても問題を解決したいわけでしょう。問題解決=勝つことと設定しる時点で問題の解決になっているとは考えられない。

つまるところクレーマーが増えてしまったのは,社会の分断によって周囲の人に対する配慮の余裕が失われてきたからだと考えています。いろんな嫌なことがあっても「誰かを赦す」という姿勢が一層求められている気がします。「赦し」はときに悲しみの果てにしかありません。ですが乗り越えていく能力があるのもまた人間です。

みんなが誰かを赦し慈しむことこそ進みゆく社会の分断を止めて共同体を修復することになっていくのでしょう。