尋問で奇跡の大逆転。という事案はおそらく奇跡だろ

投稿者:
島田 直行(弁護士)
2020.11.12 (更新日:2020.11.13) 経営者の方々へ

久しぶりの投稿。「書こうと」と思ってもなかなか筆が重いときってあるものだ。「やる気」というのは本当に不思議なもの。自分では「やる気がある」と感じていてもなかなかはかどらないときがある。逆に「やる気がでない」と感じつつもなんだかテキパキ物事が進んでしまうこともある。何かの本で「やる気を起こすためにはまずは行動すること」って書いてあったが「本当にそうだ」と思う。実際にやりはじめるとなんとなく仕事が進んでいく。

そんなわけで今回は弁護士らしい話題にしてみよう。「これぞ弁護士」とイメージされがちな訴訟における尋問についてだ。一般の人からすれば、弁護士の姿と言えば尋問における「異議あり」という響きだろう。迷いのない目線、すっと伸びる手そして鋭利な声。そんな姿を妄想するかもしれないが、残念ながら妄想でしかない。「異議あり」と声高にやりあうことは個人的な経験としてもめったにない。たまに異議を積極的にだす弁護士に出会うこともあるが「効果的にやられた」と感じることは個人的にはない。実際の尋問はみなさんが想像するよりもずっと淡々とかつ粛々と行われるものだ。ドラマティックな展開などまずない。真実というのは往々にしてたわいないものだ。

「尋問で事件が大逆転する」というのは法廷ドラマとしては魅力的かもしれないが現実にはほとんどないだろう。僕自身としては、そんな事件に遭遇したことがない。むしろ尋問で180度展開が変わったとなると「それまでの準備は何だったの」と首をかしげたくなる。一般的に尋問というのは、双方が主張と証拠を出し尽くした最後に実施される。はっきりいって尋問前の準備で結果はほぼ決まっている。少なくとも僕はそう感じている。だから尋問前にできる限りの準備をしておく必要がある。僕は、尋問はあくまでも事前の準備の最終確認的なものと位置付けている。ある先輩は「尋問は始める前にすでに終わっている」と話されていたがまさにだ。「尋問で結果を大きく変えていく」というのは相当のリスクをとっている。僕は、確実に足場を固めて事件を展開していくスタイルなので「尋問で一発逆転」のような偶然に依存するような戦略は採用しない。

尋問に関してある誤解と言えば、「質問が多いほどいい」というものだ。尋問となれば、「あれも聞きたい。これも聞きたい」ということになって質問事項が膨大になることがある。これはだいたい尋問に失敗するパターンだ。尋問には手持ち時間がある。いくらでも質問できるわけではない。なんでもかんでも聞いていたら重要な質問をする前にタイムオーバーになる。しかも質問が多すぎると裁判所に伝えたい部分もぼやけてしまう。無駄のない質問こそ美しい。僕は、できるだけたくさんの質問事項を書きだして一斉に削除していく。とにかく減らす。限界まで減らして「ここを聞こう」とターゲットを定める。だから反対尋問が10分くらいで終わることもある。あいてが40分くらい質問するなかで10分で「もう結構です」と言い切る。周囲から見れば「大丈夫か」と不安になることもあるがたいていは予想した結末になるものだ。長ければいいというものではない。

例えば目の前の人がつじつまの合わないことをふと口走ったとしよう。このときに「これとあれは矛盾しますよね。なぜですか」と思わず理由まで聞いてしまいたくなるのが人情だ。とくにここ一番というときにはなんとか理由を聞きだしたくもなる。でもこれは効果的な尋問とは言えない。たいていはつじつまが合うような理由を適当に話されてしまうからだ。これでは「矛盾している」ということが際立たない。裁判所には、「矛盾している」ということさえ伝えることができれば目的としては達成している。だからこそ「これとあれば矛盾していますよね。これで終わります」とあえて深追いしないことが尋問として効果的な場合が多い。何を聞くかと同じくらい何を聞かないかがポイントになるわけだ。

何かを質問するというのは奥が深い。