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ハラスメント

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カスハラの原因。いつからひとは「自分は正しい」と確信するのか

島田 直行 弁護士:島田 直行 投稿日:2021.05.20

「社長、クレーマーから「誠意を見せろ」と電話がきています」を出版することにした動機は、カスハラ(一般の消費者がクレーマーになること)という言葉が広く認知されるようになったからです。出版後には、「こういった体系化ははじめて目にした」など反響をいただいてありがたいことです。同時に社会においてこれほどクレーマー対応に悩んでいる人が多いことも浮き彫りになりました。コロナ禍で社会全体に緊張が走るなかでさらに人間関係がギクシャクしてクレーマーの被害が拡大しないか不安になります。なぜカスハラという状況になってしまうのか。本書のなかで検討したことを少し敷衍してみましょう。

クレーマーの性質は、時代とともに変化している。それなのに対応はいつまでもコトナカレ

私たちは、「クレーマーは社会にとって困った存在」という共通認識を持っています。そしてクレーマーといえば、もともと素行に問題があるような人物が企業などに対して不当な要求をするようなものを想定しているかもしれません。クレーマーというのは、明確な定義というものがありません。かつては素行に問題があるような「一部の人間」が対象になったかも知れません。ですが最近では、「普通のひと」がなにかをきっかけにして相手に対して執拗に責め立ててくるようなケースが増えてきました。いわゆるカスハラという現象です。言いたいことはクレーマーというのは、時代によって変遷するということです。最近ではコロナワクチンの接種の在り方について執拗に病院などを責め立て担当者が疲弊しているという話を耳にすることもあります。

こういった変化の原因のひとつには、社会全体があまりにも成熟したということがあげられます。戦後から高度成長期においては、「なにかが不足する」ということが通常でした。ある意味では不足を充足させるために仕事に邁進するといった状態であったと言えるでしょう。不足するのは食糧、家電あるいはレクリエーションなどさまざまなものがあげられます。すべてを一斉に満たすことはできないためにつねに「我慢する」ということが余儀なくされていました。「我慢しないと暮らしていけない」という状況であったといえるでしょう。ですがしだいに経済的成長を遂げると「不足」という状況が改善されていきます。そこで人々は、「より新しいもの」「より高価なもの」を求めるようになります。そこには上限というものがありません。むしろ「他人との比較」こそすべてになります。他人よりいい暮らしがしたい、他人よりいい物を手にしたい。それが活動のモチベーションということになります。

とくにひとは、「自分が他人より損をしている」ということに強いストレスを感じるものです。カスハラの原因もこういった人間感情にあるように感じます。高度にサービス産業化した現状においてはあらゆることについて価格が設定されます。価格が設定されるということは、それは貨幣経済を通じた等価交換の対象になるということです。自分はしかるべきコストを支払っているのに見合うだけのサービスを受けていないとなれば、「自分だけが損をしている。自分の損失のもとで他人が利益を得ている」という発想につながってしまいます。それが許容できないために「おかしいだろ」ということで誰かに詰め寄ることになるわけです。カスハラの場合には、根本的に自分は当然の権利を要求しているだけであってなにも批判されるべきものではないという認識が根底にあります。いわば自分の被害を自力で回復しようとしているということでしょう。

カスハラには、「自分が不当な要求をしている」という認識がありません。周囲から非常識だと言われると「被害者である自分の権利を潰そうとしているあなたこそ非常識だ」ということで新たな矛先を向けてくることになります。否定されるほどに「自分は不遇な扱いを受けている」という確信を深めることになり「いかにして問題を解決するか」という本来のテーマから離れていくことになります。これがカスハラ問題の本質的に難しいところでしょう。

このようにクレーマーの内容は時代によって変わっていくものです。それなのに対応する側としてはいまだにコトナカレ主義のもとで「穏便に」というままです。時代の変化にキャッチアップできていないというわけです。

クレーマーには誰しもが陥る可能性がある。なぜなら他人と比較する自分がいるから

行政の窓口、スーパー、病院の窓口などカスハラはいたるところで問題になっています。いわば「ひとのいるところ、カスハラあり」といっても過言ではないでしょう。「カスハラの被害にあわないよう」と願いつつ暮らしていかないといけないとなるとなんとも息苦しいですが仕方のないことです。現実的な心構えは、「どれほど注意してもカスハラの被害にはあいかねない。そのときの対応こそ必要」と覚悟を決めておかないと本当に心が折れてしまいます。

世の中のクレーマー対応の本は、大半がクレーマーに対していかに納得してもらうかということを目標としています。電話対応にしてもしかりです。そういった細やかな配慮は必要ではあるもののすべてのケースに妥当するようなものでもありません。いかに配慮してもまったく理解してもらえず一方的に要求を突きつけるだけというクレーマーもいるわけです。そういったハードな現実に目を背けて表面的なノウハウをいくら蓄積させても問題の解決にはならないでしょう。いわば解決できる問題にだけ注目しているようなものです。

またクレーマーを自分とは関係のない「他人」と考えるのも危険です。いわゆるカスハラをするひとは、一見すれば「普通のひと」です。だからこそこわいのです。なぜ普段は良識のあるひとがちょっとしたことで不満を募らせて非常識だと評価される行為にでてしまうのか。周囲からすればさっぱり理解できないことで多重人格のようにすら映るかもしれません。ですが本人にしてみれば一貫した姿勢とも評価できます。「自分は他人より無下に扱われている。そんな扱いを受けるのはおかしい」というものです。こういった感覚は決して特殊なものではありません。誰しも「ねたみ」「そねみ」というものを内面のどこかにもっているものです。自分の思うようにいかないときに「なぜあのひとと違って自分は」と無意識に誰かと比較して自分を考えてしまうものです。このときすでにカスハラへの道を歩みだしているいえます。

「誰しもクレーマーになりかねない」という自覚こそが他人との比較に陥り正常な判断能力を失うことを防止するうえで必要なのでしょう。

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